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オーケストラバルスVol5参加記 その1(プロローグ) [オーケストラバルスVol5]

去る3月20日日曜日、渋谷のオーチャードホールで行われた、
「オーケストラバルス Vol5」にコントラバスで参加してまいりました。

「オーケストラバルス」とは、スタジオジブリの映画音楽を自分たちでも奏でたい、
という音楽ファンが作り上げたアマチュアオーケストラで、
今回は「天空の城ラピュタ」がメインに取り上げられました。
http://www.orchestravalse.jp/

「天空の城ラピュタ」は私にとってとても思い入れの深い作品で、
大変感慨深いものがありました。

ラピュタが公開されて今年で30周年。
むかしの思い出などを織り交ぜながら、演奏会を振り返ってみたいと思います。

【ラピュタ公開当時の私】
ラピュタが公開された1986年、私は小学校5年生でした。
当時、私にとってアニメと言えば藤子不二雄が絶対的な存在で、
ドラえもん、パーマン、おばけのQ太郎、などがスタンダードでした。

もちろん、それ以外にもアニメがあることは知ってはいましたが、
当時テレビは家に一台しかなく、ゴールデンタイムには必ず中日ドラゴンズの
野球中継があり、チャンネル権を持たない私は付き合って野球をみるしかありま
せんでした。(当時は今ほど熱烈なドラキチではなかった)

映画館に観に行こうにもお金がありません。
さらに、
「児童が映画館に行く場合は、事前に必ず担任の教師に申告し許可を得て、父母同伴で行くこと」
という、厳しい校則があり、実際先生が見回りに来ることもありました。

私の両親は自営業(薬局)で共働きでいつも忙しく、
「映画を見に連れて行ってほしい」
とはとても頼めませんでした。

そんなこんなで、「天空の城ラピュタ」という作品については、
公開当時は全く何も知らずに通り過ぎて行ってしまいました。

ついでに、翌年の1987年に、地元岡崎市の市政70周年を記念して
「葵博」という地方博覧会が開催され、総合プロデューサーを手塚治虫先生が務めておられました。
手塚先生はお忙しい中を頻繁に岡崎市にお見えになり、
私も一度だけ間近で手塚先生を拝見する機会がありました。

大きな紙に物凄い速さでアトムやブラックジャック、リボンの騎士等が描かれるさまは魔法のようで、
さらに手塚先生が出題する岡崎市に関連するクイズやなぞなぞに正解した観客には
その場で描いた絵をプレゼントするという、サービス精神や博識さに完全に魅了されました。

この体験が、さらに私を、手塚治虫とその影響を強く受けた藤子不二雄の世界に惹きつけることとなりました。


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